水平線の向こう側。

多分備忘録。

最近気づいたこと

というか前々から思っては居たのだが改めて認識したことである。

一応反省気味なやつ。

 

 

基本的に自分は過去未来よりも現在を大事にするタイプだ。すごいわかりやすく言えば今が有意義(あくまで個人的な尺度)であれば多少寿命が縮まっていいと思っている。

最近実感するのはその方向は過去にも向いていて、絶えず変化していく人間関係に対してガラパゴスのように取り残されていくというか、まぁそんな感じ。

 

 

先日将棋関係で10年来くらいの友人と久々(それこそコロナ禍を挟んでいるので4,5年ぶり)に会う機会があった。

彼は関西に住んでいるのだが、彼とよく会っていた頃は自分も彼も学生で、みんな将棋に関わらず色々遊んだりした。その時の友人とは今でもTwitterなどで絡んだりしている。

 

話を戻すとその彼(Sくんとする)はここ最近その当時のメンツや大学の同期と会ったりして当時のことを思い出し、かなりノスタルジックな気持ちになったそう。お前はホント変わらないよなぁと誇張なしに10回くらい言われた。それを若干苦笑いしながら慰める自分という構図となった。

 

ここで問題(?)なのが苦笑いしか出ていない自分だ。

 

確かに自分の同期も少しずつ結婚したりとか、本格的に身を固める準備をしてる人の話とか耳に入る。当然ながら人生に於いてはそちらの優先度の方が高くなり、それこそ一緒に飲みに行く頻度などは減るだろう。

 

それに対して残念だなぁとか昔に戻りたいなぁとかいう感情があまりにも出てこなさ過ぎるんだよなと最近薄々思っている。

 

他人は他人、自分は自分という意識もそこそこ強いのもあり、自分が変わる理由もないので変わらないし、他人が変わる事に対して合わせる事もなく。自分の軸があるのは良いことなのだが、それは本当に幸せな事なのだろうか?と。

 

いやまぁ自分自身はそれもまた人生と思っているわけですが…

 

ただそうドライなのは自分からは良くても他人から見てもそうなわけで、少しは他人にもっと干渉することを覚えた方が良いのかなと思わなくはないというか、そんな感じ。

たまに遊びたくなった時に全く相手にされない関係性になっててもそれはそれで勿体無いですしね。

 

結局何が言いたいのかわからなくなってきたけど、今までもこれからも自分に連んで頂いた皆様に感謝を持って、今夜も乾杯。