水平線の向こう側。

多分備忘録。

忘年会

気づいたら今年も残り一週間になっていた。どうも、湯田です。最近店で食べた牡蠣に当たりました。みなさんも気をつけましょう。

 

 

 

 

先日iPadを購入した。

 

深い理由はない。強いて言うならば某ゲームの家庭用がプレイしたかったからなのだが、それだけだと理由としてはやや薄いと思っていた。

ところがある日仕事をしている時に突然「iPad欲しくね?」と思い始め、その翌日に種類(基本ver.とかproとか)を調べ、その翌日に購入した。わずか三日間の出来事である。善は急げ、というやつだ。

 

そんなに安いものでもないのにいくらなんでも早すぎじゃね?と思われるかもしれないが、この湯田という人間は財布の紐が異常に固いのである。例えば自分は俗にいうアニメオタクという人種なのだが、オタクグッズの類を買おうとはするのだが基本的にウィンドショッピングで満足してしまう。お金があろうとなかろうと任意の買い物についてコスパ等のバランスを考慮して結局お財布の紐がほどけないことが多い。

なので今回のようにあまりコスパのことを考えず(全く考えてないことはないのだが)モノが欲しくなることはかなり珍しい。これを逃してチンタラ一週間くらい経ったら「でもやっぱりiPadって高いよなぁ…使う目的もはっきりしてないのに買うのはどうなんだろう…」とか思い出すに決まっている。それを見越した上で即時購入に踏み切った。俗にいう勝負手というやつである。

 

結果は勝負手は功を奏し、便利に使わせてもらっている。第1目的の某ゲームは実はあまりやらなかったりして依然使い方がアヤフヤなのだが、やっぱり単純に端末がもう一つあるのは便利である。そこそこ大きい画面で龍が如くのプレイ動画を垂れ流しながら(←?)Twitterなり作業したり、AbemaTVで将棋のチャンネルみたりと気ままに使っている。ちなみになぜかあまり将棋は指していない。本当に意味がわからない。

何はともあれ買って大満足である。湯田のQOLがアップした。

 

 

ちなみにiPadを購入するときについでにアクセサリを一式揃えた(+約一万)。お財布の紐が固いくせに一度解けると(特に気に入って出すと決めたものに関しては)とことん出す主義なのだ。元の紐が固くて本当に良かったと思う。

 

 

 

 

 

 

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 年末といえば忘年会シーズンである。

 

忘年会といえば、忘年会という名目のもと酒を飲んではウェイウェイしたいだけみたいな捉え方をしているのだが、忘年会という言葉の由来を調べてみるとあながち間違いでもないようだ。いつの時代も酒は正義(正義とは言ってない)なのだ。

 

今年も色々な忘年会にお誘い、参加させて頂いたのだが、どの忘年会も楽しく過ごすことができた。今年は就職したこともあり、俗に皆が嫌がる「職場の忘年会」というものにも参加したのだが、普通に楽しんできた。上司への接待というのもやりようによっては楽しいものである。

 

 

今年一年を振り返ってみると、環境の大変化というのもあるが、やっぱり予定通りとはいかないことが多くて文字通り「忘れたい」一年という感じであった。実際に忘れたいのは9月以降の4ヶ月だけなのだけども。まぁでもこれから長く続く社会人生活の礎になりそうないい経験にはなったと思う。来年はここまで忙しくなければいいなと思いました(こなみかん)。

 

来年の目標はもう少し将棋を指すこと。結局今年は実際に出た大会は朝日アマと支部対抗、そして本多杯のみ(中四OB大会もあるといえばあるが)だった。一応日課のウォーズ三切れはコツコツやっていたのだが、自分はどちらかというとアナログな人間なので、実際に駒を持って盤に向かってうんうん唸っていたいものだ。来年はもう少し支部の例会に出たりしようと思います。

 

将棋以外の目標は無病息災かなぁ。今年は年末ごろにらしくもなく二度も体調を崩したので、もっと丈夫に生きたいですね。まぁこの一年、特に下半期でかなり鍛えられたと思うので(身体、メンタル共に)来年は体調崩して仕事休む展開がないようにしたい。

 

 

 

結局毎度のごとく何を言いたいかわからない感じになったが皆さん今年もありがとうございました。良いお年を。来年も何処かでお会いしましょう。

 

 

 

 

 

あとN島くん竜王戦勝利おめでとう。

 

Strike while the iron is hot

突然ながら、皆さんはほしいもがどういう食べ物かご存知だろうか。

ほしいもは「きっぱし」や「いもかち」とも呼ばれ一般的にサツマイモを蒸して乾燥させて作られる。主に茨城県で作られているそうで、だいたい10〜15cmくらいの大きさである。適度に柔らかく、サツマイモらしく甘みがある。そのままでも美味しいが、適度に炙ると柔らかさや甘みが増してなお良いらしい。



と、ここまで書いておいてなんだが自分はほしいもを食べたことがない。前ブログあのタイトルで7年くらいやってたのに。じゃあなんで書いたんだよって感じである。気にしないでほしい。

 

 

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鉄は熱いうちに打て、という諺がある。

鉄は熱して軟らかいうちに鍛えて有用な形につくりあげることから、人は若いうちに鍛えるべき、又は物事を運ぶ時は手遅れにならないうちに処置を講ずるべし、という喩えに使われる。

 

 

 

今回は「大学将棋部」の話をしたいと思う。 

 

 

大学に限らずではあるが、大学将棋部にとって部員のモチベーション(やる気)を出させるか、というのは、非常に重要な問題である。

部全体が各々真面目に対局する雰囲気の部活であれば自然と残りの者もそうなってくるし、部全体が将棋を指さずゲームや麻雀ばかりする部活であれば自然と周りもそうなってくる。当然例外はあるが、だいたい日本人というものは長いものに巻かれる人種なのだ。

ちなみに自分は後者と例外の中間くらいである。真面目路線からやや堕落路線なのであまりよろしくはないのだが、終わりよければすべてよしというのもあって今はこの状態でも良いのではないかと思っている。

 

話を戻そう。

 

部活をしている中で、本来の路線からズレていく人間が出てくるのは文化系サークルあるあるだと思う。殊将棋部においてはそもそもがボードゲームの一種ということもありゲーム好きな人間が多い(と思っている)。なので部室に将棋ではない他のゲームが出現するのはよくある。

それを元の路線に戻すのが大学将棋部の部長の主な役目の一つになるパターンは結構多いと思う。

 

ここで冒頭の「鉄は熱いうちに打て」という諺が関連してくる。

 

ここでの鉄とは、「大学将棋部の部員」のことを指す。人間、20代くらいになるとだいたい考え方や思想といったものが凝り固まっている。鉄どころかもっと硬い金属みたいな人間も山ほどいる。

そういった冷えた鉄、もとい凝り固まった部員を焚きつけるのは至難の技である。冷えてるだけならいいのだが、将棋にハマった人間か変な奴が多い(完全に主観だが)。尖ったのも多い。

実際のところ自分も会計(部長がほぼ来なかったので実質部長だった)、部長と二年間部の運営をしたのだが、最終的には部員の雰囲気に合わせて緩めの運営をした。こう言ってはなんだが自分は自分自身がよければあとはなんでもいいタイプだったりするので…

 

 当然そうでない部長もたくさんおり、そういう人が冷えた鉄を溶かし、よい形に作り変えていくのだ。ごく身内の話をするならば某H大のKSTIRさんとか、某O大学のHNくんみたいな人間である。あとかつての同級生N野とか…

彼らは(様々な想いはあるだろうが、)自分だけのことではなく部全体のことを考え、時には嫌われ役もこなす事もあっただろう。そうやってやや廃れていた部活を立て直したり、団体戦で優勝に導いたり、戦力がほぼいなかった部を1から育て上げ層の厚い部にしたりしてきた。そういう部分は自分にない(正確には過去においてきた)もので、羨ましいというか、とても眩しく映るものだ。そういう経緯を見ると中四(に限らずだが)の団体戦を一層楽しく見ることができる。

 

自分もそういうメンバーと過ごせていたらまた変わっていたのかなとも思うのだけれど、自分は形状記憶合金みたいなもので、何度に熱せられても結局は自分を強く持つ気がする。またそれも一局の将棋、一局の人生といえるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

p.s. やはり落とし所を見失った。

100日。

前回更新からのおおよその日数()

 

どうも、湯田です。

急に寒くなり、体調を崩しやすい季節になった。かくいう自分も先日体調を崩し、久々に熱を出すレベルになった。体調には気をつけましょう。

 

 

さて、今日まで実は例の如く書こうと筆を…じゃなくスマホをとって書き始めていたのだが、いつものように下書き送りになっている。そんなこんなで秋の中四まで通り過ぎてしまった。時の流れは早いものですね。

そんなわけで多少ザックリでも更新しようかなと思いこうやって書いていたりする。まだ見ている方はいらっしゃるのだろうか。

 

 

 

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 時の流れは早いもので、自分の最後の中四から一年が経った。あの頃は寂しくもあったもののなかなか実感が湧かなくて、なんともいえない気持ちだったのを覚えている。

 

今年の愛媛中四を観戦して、色々な知り合いの活躍、そして最後の中四を見届けた。各々色んな思いがあって、様々な感想を漏らしていたのだが、それを見て「ああ、自分ももう中四から卒業したんだな」と改めて思わされた。

 

当然今でも懇親会とかに参加することはでき、そこで絡んだりはできるので完全に蚊帳の外にいるというわけではない。だが、個人戦に参加してみんなで一緒に頑張ろうとか、知り合いに当たって負けねぇぞとか、そういう体験はできない。当たり前なのだけど。

そういうのを今回(まぁ厳密にはGW広島で既に見てはいたのだけど)'''外野'''からみて、寂寥感というか、そういう思いを抱いた。今更ながら。それだけ自分の中で中四というものは特別なものだったのだったのだなぁと感じる。きっとみんなもそうだったのだろう。

 

 

結局何が言いたいかよくわからなくなってしまったのだけれど、今年度で中四を卒業される皆さんお疲れ様でした。きっと心の整理がつかなくて僕みたいに本当の卒業ができない人もたくさんいると思いますが、OB大会や懇親会もあるので、また将棋を指したり酒を飲んだりしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ:気が向いたら中四レポを書くかもしれない

記事のストック

最近、焼肉に行きたい欲が増している。理由は特にない。

 

ちょっと前、つまり大学生の時は平日でも家族で焼肉行けたりしていたのだが、自分が社会人なってからは自宅から職場までの距離的な問題(やちょろっとゲームしたりもあるのだが)で帰るとどうしても22時を回るので平日行こう!とはなりにくい。ただ土日もいつ行くんや…という感じではある。

というわけで最近焼肉にあまりいけてないので誰か一緒に焼肉行きましょう。ちなみに割と牛角に行くことが多いので牛角以外がいい(ワガママ)。

 

 

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記事のストック、というものがある。

 

自分がブログを書く時はなんか書きたいことを思いついた、あるいは書きたいことが発生したときに一気にガーッと書いてはいポンみたいなパターンが多い。なので書き始めると割と早かったりする(いざ書こうと思った時に形がまとまらなくて60分くらい悩んだ後にまとまって10分で書き終わるみたいなことはザラである)。

ただそうやって書き始めた時に書いたはいいものの終着点が見えなくなって手が止まる時がある。そういうのはその日はだいたいいい案が浮かばなくて下書きに保存されそのまま数週間が経つ、という感じになる。そうやって下書きに溜まっていったのが「記事のストック」である。

現にこれを書いている今既に二つストックがあったりする。じゃあお前それから書けよと思われるかもしれない。確かにそれはそうなのだが、今は「書きたいことを思いついたからガーッと書いている」ので、ストックされたままというわけだ。

 

ではこのストックされた記事がいつ纏められて陽の目を浴びるのか、と言われるとかなり怪しい。

元々自分は下書きを見た際割とそのまま消してしまうタイプの人間なので、そうやって消えてきた記事は今まで数知れない。もしかすると今二つあるストックもそのうち消えているかもしれない。悲しい運命だなぁ()

 

 

重要なのは書き始めた記事は最後まで書ききる事だといえよう。

 

 

 

あとがき:終着点が見つからなくなってこれもストック行きしそうだったけどさすがに放出

 

ノイジー・マジョリティ

最近、あまりTwitterを見なくなった。単純に忙しいのもあるのだが、一番の理由は「つまらないものに対する免疫がなくなった」からだ。

そもそもTwitterっていうのは(ここは当然個人差があるとは思うのだが)山ほどあるつまらんものの中から鉱脈を見出すというのが自分の中の楽しみであり、そのためには山ほどあるつまらんものを許容できる、という気概があった。

しかし、いざそこそこに忙しくなってみると休憩時間にチョチョイとタイムラインを眺めてみてもなかなか面白いものは発掘されずただひたすら面白くもないものをいつまでも楽しそうに流してる輩ばかりで楽しいどころかむしろストレスを覚えるようになってしまった。知らぬうちに心に余裕がなくなってしまったということなのだろうか。

というわけでここ最近全くタイムラインを見ない生活になったのだが、今日たまたま見たらなかなか面白そうなものを見つけた。

 

「'98将棋ブログ」(リンク勝手に貼るのもアレなのでタイトルだけ載せておきます)

 

どうやら仲の良い四人の同世代ツイッタラーでブログを始めるようだ。今年から大学生の若々しい記事(だと思う)なので、是非見てください。このブログより遥かに見る価値があると思う(やる気出せよ)。

 

 

 

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藤井四段が前人未到の公式戦29連勝を達成した。これは本当にすごい。将棋界ここのところ暗いニュースが多かったし明るいニュースで本当に良かったと思う。

色んなニュースで取り上げられ、かなり一般的、多数的な話題になってきて、将棋界に関する話も自然と増えてくる。それ自体はいいことなのだが、一般的な話題になってくることで悪いことも出てくる。そこでタイトルの「ノイジー・マジョリティ」というところに還ってくる。

 

通常こういうマイノリティな話題というのは、任意の話題に関して(程度にはよると思うが)知識を有した人間同士で発生するもので、そこにはあまり気を遣ったりとかいちいち語句の説明をしたりだとか、そういうステップをすっとばして会話できる。

しかし、こういうマイノリティな話題が割と多数的、つまりマジョリティな話題と化してくると、知識をほとんど有さない、又は全く有さない人間との会話というのもたくさん発生してくる。僕はそういう展開は実はあまり好きではない。

それだけならまだいいのだが、こういう話題が大多数の人間に浸透してくると、正しくない、あるいはトンチンカンな方向に飛んでいきやすい傾向にある(これはどんな話題にでも言えることなのだが)。僕はこういうのが特に嫌いで、今回の件でも別段面白くもないネタを見てはキツイキツイ言っていたりする。

 

 

しかし、こういう「ノイジー・マジョリティ(こういう表現で書いているだけで正しくない表現であってもご容赦いただきたい)」が声高に活動することによって、(今回は将棋界の)話題が溢れているのもまた事実なのである。そういう意味では喜ぶべきなのかもしれない。複雑な心持ちといったところだ。