水平線の向こう側。

多分備忘録。

型にはめる

ふと思ったのだが、昔から何かと相談されたり愚痴聞き役みたいな立場になることが多い。最近それをよく実感する。

 

自分は別にコミュ障というわけではないのだが、1人が好きという性格上あまりずけずけと話しかけず、黙って他人を眺めている、あるいは会話を耳にすることの方が多い。ただ実は他人と喋るのは結構好きだったりする。

 

今の職場に入ってすぐの頃は当然誰かに話しかけていくことも特になくただ静かに過ごしていた。しかし仕事柄上誰かと話すという機会は少なくないし、むしろそこそこにある。そういうそこそこの積み重ねをしていた結果、職場で誰かに話しかけられ、誰々がどうだの仕事がどうだのみたいな世間話な愚痴などを聞く機会がわんさか増えるようになった。こういう書き方をしているがそれ自体は嫌いじゃなくむしろ好きな方だ。

人の話を聞いてたらその人がどういう人生を歩んできてどのような思想を持っているとかわかるので非常に興味深い。こういう点では結構理系的な考え方をしている気がする。多分。

 

一方で自分は愚痴を誰かに言うことがあまりない気がする。自分は割とストイックに生きているタイプの人間であり、色々切り捨ててやりたいことをやっているタイプなので普通の人に比べると悩みは少ない方だと思う…のだが社会人になるとさすがにそうもいかず悩み事がちょいちょい増えてきた。そうなった時に相談できる人を思い浮かべたが思った以上にいないということに気づく。悲しいなぁ…。まぁ数少ないけどそういう人はいないわけではないのが救いだろうか。皆さん相談相手はちゃんと見つけましょうね。

 

そんなこといいつつも人と話してると気づいたら聞き役になっているし、結局何が言いたいかというとなんやかんや愚痴を聞く側の人間なのだと思う。これは話云々以前に自分が何かを受けて動くタイプという人間的性質に起因しているのかもしれない。余談だが将棋も受け棋風(まぁ最近は桂ポンとか左美濃急戦とかで攻め倒してることが多いけど…)だったりするし、根っこのとこは誤魔化せない、のかなぁ。

 

というわけで話相手に困ってる皆さんは僕とお話ししましょう。

 

 

 

 

 

 

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突然ながら、皆さんは何かの旅行に行く際に、どういうプランをたてていくタイプだろうか?

 

出発からその日の最後まで綿密に計画を立てて行く人、はたまた行き帰りの交通手段、宿すら取らずに唐突に動く人、様々だと思う。ここは性格所以のものが大きい。前者は几帳面、後者は天真爛漫といったところであろうか。

 

 

しかし自分はそのどちらでもない。いわば中間と言ったところだ。

 

 

まず行き先を決める。流石にこれは当たり前なので特に言及はしない。

次に行きたいところを決める。いくら天真爛漫と言えど行きたいところがないのに旅行するやつもそうそういまい。まぁ稀に存在するのがこの世の怖いところだけど…  とにかく行きたいスポット、食いたい飯を幾つかリストアップしていく。

その次が行き帰りの交通手段の確保である。なんやかんやで帰れない可能性があるのは結構嫌なものだ。自分はだいたい新幹線信者なので思考停止で新幹線にすることが多い。ただしケチなので関西圏までなら高速バスを使うこともたまにある。一応どこでも寝れるタイプなのは自分の数少ない長所である。

そして宿である。これもまちまちで、ホテルを取ることもあれば友人の家を頼ることもある。前者は大会の遠征など翌日に備えなければならぬ場合、後者は翌日に少しくらい響いても大丈夫な時だ。繰り返すがケチなのである。妥協できるところは妥協し、出費を抑えるのが人生の趣味といえよう。では新幹線はどうなのかって?妥協できないからに決まってるでしょ。

 

 

お・わ・り

 

 

以上である。行きたいところリストアップしたのだから計画を立てろよと言いたくなるのだがそこはめんどくさがりやの本領発揮。行き帰りの交通手段だけ確保してあとは当日適当に行く場所を組み合わせて行くのが湯田流旅行術なのだ(既に他に名前が付いてたらごめんなさい)。

まぁそもそもこの湯田という男、気まぐれという属性がついているので計画を立てても計画通りに物事が進むことはほぼ皆無と言って良い。それならばいっそ計画を立てず必要な分だけ行く場所決めて、あとは当日の流れとかを考えて帰りの交通手段に間に合わせればいいというのが主張点なのだ。

 

察しの良い方はお気づきかもしれないが、ここで「型にはめる」というタイトルに還ってくるわけである。タイトルに還すの好きだねこの人。

 

 

皆さんも昔小学生や中学生の頃に算数や数学の問題で先に答えを見てそこからどういう計算式で解いて行くかを考えて怒られた経験はないだろうか?数学的には本来はよろしくないので怒られるのは当たり前なのだが… 怒られない例でいうなら虫食い算だろうか。今思えばあれ良い問題ですね。

 

この「結論からイメージして過程を描く」という行為、予想以上に大事な事だと思う。

例えば先ほどの旅行術の話で例えると

行きと帰りが決まっている→ではそれに間に合うように行きたいところを組み合わせるにはどこを・どの順番で・どこを取捨選択すればよいか、となる。前もって計画しておけば何の憂いもないのかもしれないが、物事そううまく行くとは限らない。イレギュラー要素が入り込んだ時にそこに収まるようにするにはどうすればよいのか、と考えるのは一種のスキルが必要になってくるものだと思う。

 

そしてそれは将棋でも言える。こういう風に相手玉を寄せたい→では自玉の安全度はどうか、単純に寄せて間に合うのかどうか計算→決行、といった感じだ。

 

形から入るのは良くないともいうが、ある程度の「型」を作り、それに何かを当て「はめる」と物事上手く行くこともそこそこあると思う。時には答えから想像するのも大事だ。というか現代社会ってそういうパターン結構多いですよね。納期に合わせてどれだけ稼働するかみたいな。ここまで仕事の話をしだすと鬱病になってしまうのでやめておく。

 

 

とにかく、騙されたと思って湯田流旅行術一度お試しあれ。なかなか面白いですよ。ちなみに飯はラーメン屋に入るのがオススメ。ラーメンも型にはめていくピースの一部である。

 

 

あとここだけの話ながら最近は宿すら決めずに旅行することがたまにある。QoLをアップするどころか知能指数が下がる一方である。ある程度ご利用は計画的に。

 

 

 

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最近こういう「升に入ってるコップ」で出てくる日本酒が割と好き。升買おうかなぁ…

 

 

 

 

 

 

 

出会いと別れの季節

先日、神戸でタクシーに乗る機会があり、そこそこ興味深い話を聞いた。最近はタクシーを運転して目的地に行く際、よっぽどわかりやすいとこじゃない場合はカーナビに頼って行くため、道を覚えることが少なくなったそうだ。もちろん全てのタクシー運転手がそうというわけではないだろうが、なんとなく思うところが多い話に思えた。

 

技術の進歩はすごいものである。自分は所詮二十数年しか生きてはいないが、それでも目に見えるレベルの変化があった。小学生の頃家にあったパソコンはぶっとい液晶でWindowsも98だったのが今では薄い液晶でWindowsも10だし、母親しかもってなかったケータイはPHSだったのが今では画像全員持ってるしiPhoneだったり今の時代小学生でも平気でスマホを持っている。すごい時代になったものだなぁ。

世の中そういう文明の機器が便利になったおかげでわからないことがあればすぐに調べられるし、生きやすい世の中になったことは確かである。

 

しかし、だ。

 

ここで最初のタクシーの運転手さんの話に戻ってくるのだが、人間楽なものがあるとそれに頼りすぎて自分で考えなくなったりする部分があるのが事実。これはなにもタクシーの話に限ったことではない。例えば漢字の読み書きだってそうだし、はたまた将棋の検討だってそうである。コンピューター将棋ソフトも強くなって検討するのに有用な存在になったが、結局大会など人間同士で指すぶんにはソフトは使えず自分で考えるしかない。そういう時にテクノロジーを鵜呑みにして自分で考えていないとどうなるか、結果は火を見るより明らかであろう。

 

結局なにが言いたいかというと月並みな事なのだが、テクノロジーに生かされるのではなくテクノロジーと共に生きなければならない、ということである。もしかしたら数十、数百年後はその必要すらない社会になっているのかもしれないが、その逆も然りである。「人間は考える葦である」、この言葉は時代を経て別の意味でも重要な意味を持ってくるのかもしれない、そんなことを思う2018年3月。

 

 

 

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3月、4月といえば出会いと別れの季節である。実際にそういうかはわからない。まぁだいたいはあっていると思う。

この時期になると進路や就職先があらかた決まり、それまで同じ地域に住んでいた人は寂しいね〜元気でね〜というやりとりをするのがおなじみである。人それぞれだとは思うが。

自分の場合は割と淡々としているのであまりいつもと変わらない別れ方をすることが多い。それ以降付き合いが続く人間とは元々かなり深い付き合いだし、そうでない人間はそうではないというだけである。味気ない人間だとは思うが、そう育ってしまったものは仕方ない。どこで道を間違えたのか…

 

 

 

今年は出身高校、中高一貫なので厳密には中高で自分と最後に被った(高3と中1)世代の子が卒業する。当時高3なのであまり絡んだ後輩もいないのだが、そう思うと時が経つのは早いものだ。

その世代でよく絡んだ後輩は二人いて、片方は将棋方面でお世話になったAくん(厳密にはKなのだが、便宜上)、もう片方はゲーム関係でよく遊んだKくんである。5歳差というのはそこそこ大きい差だと思うし、ましてや少し被ってるとはいえほとんど被っていないのによくしてくれて本当にありがたい。二人とも関東の方に行くようで気軽に会えなくなるのは寂しい。ご卒業おめでとうございます。

 

 

 別れは何も卒業だけではない。就職、異動、その他色々な事情で別れることもある。

そういう意味で一人書きたい人物はいるのだが、書くと正直目の前が見えなくなりそうなので書かないでおく。一つだけいうと向こうでも頑張って欲しい。

 

 

別れというのは寂しいことではあるけど、人間いつしか別れなければならないこともあるし、様々な出会い別れを乗り越えていかねばならぬのである。最終的に死んで一人になることを考えれば別れの数だけ出会いがあるわけで、そう捉えれば少しは救いようがあるかもしれない。葦は踏まれても立たねばならぬ。そうして立った先にはどんな出会いが待っているのだろうか…

 

 

 

 

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どうも、湯田です。実はツイッターの名前も湯田から元のHNに戻してしまったので湯田を名乗る必要はないのだが、こっちまでそのHNにするのはなんとなく嫌なのでこのままにしておく。

このブログは一応何かしら書きたいテーマを定めて、それに関して色々文字を重ねていくという感じで書いていて、テーマ自体は年始の時点で候補があったのだが、書いてる途中でなんか違うなという感じになり、新たにピンときたのがこれである。年始一発目だから明るめな話から始めようと思ったのだが、申し訳ない。

というわけで今年もこんな感じに緩いペースで書いていこうと思うので、よろしくお願いします。

 

忘年会

気づいたら今年も残り一週間になっていた。どうも、湯田です。最近店で食べた牡蠣に当たりました。みなさんも気をつけましょう。

 

 

 

 

先日iPadを購入した。

 

深い理由はない。強いて言うならば某ゲームの家庭用がプレイしたかったからなのだが、それだけだと理由としてはやや薄いと思っていた。

ところがある日仕事をしている時に突然「iPad欲しくね?」と思い始め、その翌日に種類(基本ver.とかproとか)を調べ、その翌日に購入した。わずか三日間の出来事である。善は急げ、というやつだ。

 

そんなに安いものでもないのにいくらなんでも早すぎじゃね?と思われるかもしれないが、この湯田という人間は財布の紐が異常に固いのである。例えば自分は俗にいうアニメオタクという人種なのだが、オタクグッズの類を買おうとはするのだが基本的にウィンドショッピングで満足してしまう。お金があろうとなかろうと任意の買い物についてコスパ等のバランスを考慮して結局お財布の紐がほどけないことが多い。

なので今回のようにあまりコスパのことを考えず(全く考えてないことはないのだが)モノが欲しくなることはかなり珍しい。これを逃してチンタラ一週間くらい経ったら「でもやっぱりiPadって高いよなぁ…使う目的もはっきりしてないのに買うのはどうなんだろう…」とか思い出すに決まっている。それを見越した上で即時購入に踏み切った。俗にいう勝負手というやつである。

 

結果は勝負手は功を奏し、便利に使わせてもらっている。第1目的の某ゲームは実はあまりやらなかったりして依然使い方がアヤフヤなのだが、やっぱり単純に端末がもう一つあるのは便利である。そこそこ大きい画面で龍が如くのプレイ動画を垂れ流しながら(←?)Twitterなり作業したり、AbemaTVで将棋のチャンネルみたりと気ままに使っている。ちなみになぜかあまり将棋は指していない。本当に意味がわからない。

何はともあれ買って大満足である。湯田のQOLがアップした。

 

 

ちなみにiPadを購入するときについでにアクセサリを一式揃えた(+約一万)。お財布の紐が固いくせに一度解けると(特に気に入って出すと決めたものに関しては)とことん出す主義なのだ。元の紐が固くて本当に良かったと思う。

 

 

 

 

 

 

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 年末といえば忘年会シーズンである。

 

忘年会といえば、忘年会という名目のもと酒を飲んではウェイウェイしたいだけみたいな捉え方をしているのだが、忘年会という言葉の由来を調べてみるとあながち間違いでもないようだ。いつの時代も酒は正義(正義とは言ってない)なのだ。

 

今年も色々な忘年会にお誘い、参加させて頂いたのだが、どの忘年会も楽しく過ごすことができた。今年は就職したこともあり、俗に皆が嫌がる「職場の忘年会」というものにも参加したのだが、普通に楽しんできた。上司への接待というのもやりようによっては楽しいものである。

 

 

今年一年を振り返ってみると、環境の大変化というのもあるが、やっぱり予定通りとはいかないことが多くて文字通り「忘れたい」一年という感じであった。実際に忘れたいのは9月以降の4ヶ月だけなのだけども。まぁでもこれから長く続く社会人生活の礎になりそうないい経験にはなったと思う。来年はここまで忙しくなければいいなと思いました(こなみかん)。

 

来年の目標はもう少し将棋を指すこと。結局今年は実際に出た大会は朝日アマと支部対抗、そして本多杯のみ(中四OB大会もあるといえばあるが)だった。一応日課のウォーズ三切れはコツコツやっていたのだが、自分はどちらかというとアナログな人間なので、実際に駒を持って盤に向かってうんうん唸っていたいものだ。来年はもう少し支部の例会に出たりしようと思います。

 

将棋以外の目標は無病息災かなぁ。今年は年末ごろにらしくもなく二度も体調を崩したので、もっと丈夫に生きたいですね。まぁこの一年、特に下半期でかなり鍛えられたと思うので(身体、メンタル共に)来年は体調崩して仕事休む展開がないようにしたい。

 

 

 

結局毎度のごとく何を言いたいかわからない感じになったが皆さん今年もありがとうございました。良いお年を。来年も何処かでお会いしましょう。

 

 

 

 

 

あとN島くん竜王戦勝利おめでとう。

 

Strike while the iron is hot

突然ながら、皆さんはほしいもがどういう食べ物かご存知だろうか。

ほしいもは「きっぱし」や「いもかち」とも呼ばれ一般的にサツマイモを蒸して乾燥させて作られる。主に茨城県で作られているそうで、だいたい10〜15cmくらいの大きさである。適度に柔らかく、サツマイモらしく甘みがある。そのままでも美味しいが、適度に炙ると柔らかさや甘みが増してなお良いらしい。



と、ここまで書いておいてなんだが自分はほしいもを食べたことがない。前ブログあのタイトルで7年くらいやってたのに。じゃあなんで書いたんだよって感じである。気にしないでほしい。

 

 

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鉄は熱いうちに打て、という諺がある。

鉄は熱して軟らかいうちに鍛えて有用な形につくりあげることから、人は若いうちに鍛えるべき、又は物事を運ぶ時は手遅れにならないうちに処置を講ずるべし、という喩えに使われる。

 

 

 

今回は「大学将棋部」の話をしたいと思う。 

 

 

大学に限らずではあるが、大学将棋部にとって部員のモチベーション(やる気)を出させるか、というのは、非常に重要な問題である。

部全体が各々真面目に対局する雰囲気の部活であれば自然と残りの者もそうなってくるし、部全体が将棋を指さずゲームや麻雀ばかりする部活であれば自然と周りもそうなってくる。当然例外はあるが、だいたい日本人というものは長いものに巻かれる人種なのだ。

ちなみに自分は後者と例外の中間くらいである。真面目路線からやや堕落路線なのであまりよろしくはないのだが、終わりよければすべてよしというのもあって今はこの状態でも良いのではないかと思っている。

 

話を戻そう。

 

部活をしている中で、本来の路線からズレていく人間が出てくるのは文化系サークルあるあるだと思う。殊将棋部においてはそもそもがボードゲームの一種ということもありゲーム好きな人間が多い(と思っている)。なので部室に将棋ではない他のゲームが出現するのはよくある。

それを元の路線に戻すのが大学将棋部の部長の主な役目の一つになるパターンは結構多いと思う。

 

ここで冒頭の「鉄は熱いうちに打て」という諺が関連してくる。

 

ここでの鉄とは、「大学将棋部の部員」のことを指す。人間、20代くらいになるとだいたい考え方や思想といったものが凝り固まっている。鉄どころかもっと硬い金属みたいな人間も山ほどいる。

そういった冷えた鉄、もとい凝り固まった部員を焚きつけるのは至難の技である。冷えてるだけならいいのだが、将棋にハマった人間か変な奴が多い(完全に主観だが)。尖ったのも多い。

実際のところ自分も会計(部長がほぼ来なかったので実質部長だった)、部長と二年間部の運営をしたのだが、最終的には部員の雰囲気に合わせて緩めの運営をした。こう言ってはなんだが自分は自分自身がよければあとはなんでもいいタイプだったりするので…

 

 当然そうでない部長もたくさんおり、そういう人が冷えた鉄を溶かし、よい形に作り変えていくのだ。ごく身内の話をするならば某H大のKSTIRさんとか、某O大学のHNくんみたいな人間である。あとかつての同級生N野とか…

彼らは(様々な想いはあるだろうが、)自分だけのことではなく部全体のことを考え、時には嫌われ役もこなす事もあっただろう。そうやってやや廃れていた部活を立て直したり、団体戦で優勝に導いたり、戦力がほぼいなかった部を1から育て上げ層の厚い部にしたりしてきた。そういう部分は自分にない(正確には過去においてきた)もので、羨ましいというか、とても眩しく映るものだ。そういう経緯を見ると中四(に限らずだが)の団体戦を一層楽しく見ることができる。

 

自分もそういうメンバーと過ごせていたらまた変わっていたのかなとも思うのだけれど、自分は形状記憶合金みたいなもので、何度に熱せられても結局は自分を強く持つ気がする。またそれも一局の将棋、一局の人生といえるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

p.s. やはり落とし所を見失った。

100日。

前回更新からのおおよその日数()

 

どうも、湯田です。

急に寒くなり、体調を崩しやすい季節になった。かくいう自分も先日体調を崩し、久々に熱を出すレベルになった。体調には気をつけましょう。

 

 

さて、今日まで実は例の如く書こうと筆を…じゃなくスマホをとって書き始めていたのだが、いつものように下書き送りになっている。そんなこんなで秋の中四まで通り過ぎてしまった。時の流れは早いものですね。

そんなわけで多少ザックリでも更新しようかなと思いこうやって書いていたりする。まだ見ている方はいらっしゃるのだろうか。

 

 

 

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 時の流れは早いもので、自分の最後の中四から一年が経った。あの頃は寂しくもあったもののなかなか実感が湧かなくて、なんともいえない気持ちだったのを覚えている。

 

今年の愛媛中四を観戦して、色々な知り合いの活躍、そして最後の中四を見届けた。各々色んな思いがあって、様々な感想を漏らしていたのだが、それを見て「ああ、自分ももう中四から卒業したんだな」と改めて思わされた。

 

当然今でも懇親会とかに参加することはでき、そこで絡んだりはできるので完全に蚊帳の外にいるというわけではない。だが、個人戦に参加してみんなで一緒に頑張ろうとか、知り合いに当たって負けねぇぞとか、そういう体験はできない。当たり前なのだけど。

そういうのを今回(まぁ厳密にはGW広島で既に見てはいたのだけど)'''外野'''からみて、寂寥感というか、そういう思いを抱いた。今更ながら。それだけ自分の中で中四というものは特別なものだったのだったのだなぁと感じる。きっとみんなもそうだったのだろう。

 

 

結局何が言いたいかよくわからなくなってしまったのだけれど、今年度で中四を卒業される皆さんお疲れ様でした。きっと心の整理がつかなくて僕みたいに本当の卒業ができない人もたくさんいると思いますが、OB大会や懇親会もあるので、また将棋を指したり酒を飲んだりしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ:気が向いたら中四レポを書くかもしれない