水平線の向こう側。

多分備忘録。

先を見るか、今を見るか

所謂人生観の話である。

 

 

 

自分はなぜかよくわからないが、わりかし身体が丈夫な方だと思っている。年をとって流石に少し衰えてはいるが、某ブラウザゲームでキレちらかして夜遅くまで起きてでそのまま出社することもたまにある。

そういう時とか、ちょっと不摂生な生活をした時に必ずと言っていいほど窘めてくるフォロワーがいたりする。死んだら元も子もない、というわけだ。確かに言ってることは間違ってないのだが、それを毎度言われると流石になんだかなぁという感じになってくる。それがわからずにそういうことをしているわけではない。

 

 

 

 

日本は世界的に見ればわりかし平和な方ではあると思うが、それでも最近は物騒なものである。気づけば新幹線で刺されるようになったし、気づけばテロがどうのこうのとかいって刺されるし、なんなら地震大国故もうすぐでかいのが来ると言うし。戦争とかないから生きられると思いがちながら、人間どこで命を落とすかわからないものだろう。

 

自分の人生観の中に「同じチャンスは二度来ない」というものがある。もう一度同じような場面は来るかもしれないが、それは同じ場面ではない、ということである。

自分も将棋では一度目のチャンスを見送るタイプなのだが、当然ながら局面というものは常に動くものであり、同じチャンスというものは来ない。人生みたいに選択肢が広いものならなおさらであろう。

 

いつ命を落とすかわからない人生、なるべく後悔は少なく生きたいものだ。だから自分は現在のためならば多少将来的な寿命を縮めても構わないと思っている。もちろん極端なモノはアレだけど(死に急いでいるわけではない)。先を見据えすぎて今を疎かにするのは、結局生きていても死んでるようなもの。そもそも先というのは何も保証されていないので。とりあえず先は4,5年後くらいを想定しつつ、今を大事にして生きていたいと思っている。

 

 

 

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たまには将棋の話もしようと思う。

 

最近は棋譜中継の課金をやめ、棋書を買うわけでもなく、プロ棋界の情報はほぼシャットアウトされてる状態である。唯一の情報源であるツイッターもそこまで見ていないので、将棋の知識はとっくの昔に止まっている。今年はしばらくこのスタイルで行こうと思う。

 

というわけで今日は先日の中国職域団体戦フリーの部での将棋から。

 

 

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後手が自分。実はこの直前も対中飛車で、その時は最近流行りの角道開けずに左美濃やるやつを見よう見まねでやったらズタボロに負けた。皆さん付け焼き刃はやめましょう。

というわけで今回は昔はよく使っていた穴熊を採用してみた。6筋から動くのを早々に見せられたので73銀でカバーしているが、逆に言えばあの銀ってそれだけしか働いてないので序盤の進行としては若干先手持ちというとこだろうか。

 

 

図からの指し手

△5四歩▲同歩△同金▲5六銀△8六歩▲同歩△7五歩

 

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陣形ただでさえバラバラなのに4三の金も離してよかったのだろうかと思われる進行である。他に手が見えなかったから仕方ない。

高校時代は振り飛車居飛車共に穴熊をよく指していたが、今は急戦形が多く穴熊はからっきしだ。それとはまた別に自分が意味不明にペラペラな将棋を好んでいるので、このくらいの展開ならほとんど気にしないものなのだけど。

 

ひと昔前は固さ絶対正義みたいな感じだったが、最近はコンピューターソフトの台頭もあってかバランス系の将棋も増えてきた気がする。この将棋も半分そういうとこあるし、ようやく時代が俺に…いらぬ口は閉じておこう。とにかくそういう将棋が増えてきたので、自分の肩身も少し広がった気がするというお話だ。

 

といっても最近わかっているのは48金29飛はバランスがいいこと、桂馬を跳ねていれば勝てそうということくらいである。それも多分1,2年前の話だと思うし、やはり時代に取り残されている気がしてきた。まぁいいか。所詮は気軽に指すタイプのアマチュアなので、戦型の方針とそぐわなくてもこのくらいのびのびしてるのが良いかもしれない。

 

ちなみに本譜は73の銀は最後までこの辺に取り残された。皆さんは駒は正しく使ってあげてください(ちなみになんとか勝てました)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ:たまには自分で指すのも悪くない

 

観る将が将棋を指す話。

最近、といっても自分が将棋に染まってた頃の話かもしれないが、巷では観る将というものが流行っていたらしい。簡単に言えば自分はあまり指さないけどプロの棋戦などを観戦し、やいのやいのするのを楽しむ人々のことである。

 

無論今回は観る将(一般名詞)の話をしたいわけではない。観る将(自称)の話だ。

 

大学生、特に三回生になってから学生大会以外の大会はほとんど出なくなった。主な原因はもう一つの趣味の台頭、もう一つは自大学の部活の在り方からみた将棋に対する自分の向き合い方の意識の変化ということは僕を知っている人はよく知るところであろうが、かといって大会に全く顔を出さなかったわけではなかったことも知る人ぞ知る話ではなかろうか。要は「自分は大会に出ないけど観戦には来る」タイプというやつだ。

 

 

 

自分が指さないのは気楽なものである。他人が対局しているのをみてやいのやいの言うだけでいいのだから。実際そういう面はある。楽だからね。

しかし仮にも元々自分もプレイヤーの身、皆が対局してる姿を見ると自分も対局したくなってくる。やっぱなんやかんや駒を握るのはいいものですね。

 

 

ここで話は90度ほど逸れるがアマチュアが将棋大会に出るのは基本的にタダでは出れない。安ければ1000円くらい、高ければ3000円くらい払わないと出れない。

そうやって金を払って大会に出るからにはある程度は準備をして臨まなければ意味が薄い。性格所以でやるならばとことん、という感じである。

 

しかし現在のモチベーション、職業的現状(こちらは最近に限っては比較的解決しているのだが)では事前準備に割く時間はなんとも言えない。何しろブランクが大きすぎる。本当に勝つためには地力は然り、最近の傾向を掴むのも大事である。それを揃えるためには並ではいかない。

 

結局はそれに向き合うやる気、コストパフォーマンスを考慮するといわゆる「観る将」に落ち着いてしまう。高校生の自分が見たらどう思うだろうか。当時は将棋センターにはいるけど大会には出てないそこそこ強い人を見てなんと勿体無いと思っていたが、今ではすっかり自分がその通りになってしまった。ミイラ取りがなんたらとはよくいったものですね。

 

 

 

そんなエセ・観る将と化した自分が数少ないそこそこ将棋を指す時期、それがこの1月から2月の間である。

 

まず1/3、毎年恒例の高須での研究会がある。簡単に言うとこの時を逃すと将棋を一生指さない気がするので毎年参加させてもらっている。今年は体調ぶち壊してなんとかある程度回復した状況での参加になったためそこまで将棋は指せなかったが、程々にリハビリになったかなという感じだ。ちなみに毎年リハビリと言っている()

 

次に2月頭の職域団体のフリーの部。なんやかんや顔だけはでかいので毎年どこかしらのチームに寄生させてもらっている。昨年は4位だった(はず)。今年もなんやかんやで出ることができそう。こんなクソ野郎と組んでくれる人がいる事に感謝しきりである。

 

その次は支部対抗戦。100名支部枠なので個人戦をして代表を出す感じ。昨年はなんとか勝ち越しはしたものの弱すぎて代表は取れなかった。今年はもっと弱体化しているので取れないと思われるが、一応出ようとは思っている。

 

その次、というか二月の大会は最後だが、神戸で行われるクラブカップである。これも所属関係なく団体を組んで出れるタイプである。全国から色んな人が来るため久々に会う人も多く、昨年は参加して楽しく過ごすことができた。幸い今年も組んでくれる人が見つかったため出ることができそうだ。本当にありがたい限りだ。

 

 

 

そういうわけで気付けば来月はめっちゃ将棋を指す事になってしまった。個人ならすっぽかせる(事実出ようとはしていたが出るのが面倒で出なかったパターンはそこそこある)のだが団体はそうもいかない。逆に言えばそのくらいの縛りを設けないと大会に出ないことが多いのである意味丁度良いのだが。

 

ちなみにどちらも割とゆるいメンバー(前者の大会に関しては俺以外真面目そうなのでアレなのだが)なので事前準備をする気は0.1%くらいしかない。許してほしい。センスだけでたまに勝つと思うので許してほしい。

 

そんなわけで今年も将棋に関してはゆる〜くやっていこうと思う。皆様今年もよろしくお願いします

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに最近はいわゆるアニメオタク化が進行し、様々なアニメ作品の原作を一気買いする事にハマっている。完全に生きる次元を下げるタイプの人間になってしまった。任意の将棋大会でもちゃっかりアピールしてるかもしれません。

ちなみに年末に体調を崩した原因は初参加だったコ◯⚪︎◯◯ー◯⚪︎トです。完全に死んだけど楽しかった。

 

 

そしてさらに全く関係ないけど某あまんちゅさんと某いちごちゃんは受験頑張ってください。そしてまたいつか会いましょう。

 

 

 

 

それでは改めてまた気が向いた時に。

第100回

中四は今回で第100回らしい。

 

 

社会人になって忙しくなり、色々あって中四からも気持ちが離れて、春の岡山中四は行けなくもなかったが行くのを断念した。

 

秋の中四は第100回で、最後の周回開催(香川島根徳島山口愛鳥取の持ち回り)による鳥取開催ということで、旅行も兼ねて行こうかなと思っていたものの日程があまり合わなさそうなのもあり、断念の予定だった。

しかし開催予定だった週に台風が接近し、各校が危険に晒されてしまうということで延期となった。結果的には大したことにはならなかったが、非常に良い決断をしたと思う。

 

巡り巡ってこの11月末の三連休、広島西条キャンパスで中四が行われるということで、流石に見に行くか…となった。

 

将棋関係に関してはリアルどころかネットに関してもかなり希薄な存在と化していた(つもりだった)のだけど、会場行ったら色んな人に声をかけてもらった。こういうとこは理事長やっててよかったと思う。

 

もう既に今の二回生以下は全然わからない子もたくさんいる状況ながら、4回生の子は自分が理事長をした時に一回生の子達なので、彼らの最後の中四を見届けるのは感慨深いものがあった。みんなお疲れ様。

 

夜はみんなで飲みに行って最高に楽しかったとか、そういう話は色々あるのがそれは置いといて。

 

つまるところ、なんだかんだ言いながら自分という人間はこの中四という一つの集まりが好きでたまらないらしい。一生忘れれないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

p.s. 半年強更新サボってすいません 気が向いたらまたフラッと書こうと思います。

型にはめる

ふと思ったのだが、昔から何かと相談されたり愚痴聞き役みたいな立場になることが多い。最近それをよく実感する。

 

自分は別にコミュ障というわけではないのだが、1人が好きという性格上あまりずけずけと話しかけず、黙って他人を眺めている、あるいは会話を耳にすることの方が多い。ただ実は他人と喋るのは結構好きだったりする。

 

今の職場に入ってすぐの頃は当然誰かに話しかけていくことも特になくただ静かに過ごしていた。しかし仕事柄上誰かと話すという機会は少なくないし、むしろそこそこにある。そういうそこそこの積み重ねをしていた結果、職場で誰かに話しかけられ、誰々がどうだの仕事がどうだのみたいな世間話な愚痴などを聞く機会がわんさか増えるようになった。こういう書き方をしているがそれ自体は嫌いじゃなくむしろ好きな方だ。

人の話を聞いてたらその人がどういう人生を歩んできてどのような思想を持っているとかわかるので非常に興味深い。こういう点では結構理系的な考え方をしている気がする。多分。

 

一方で自分は愚痴を誰かに言うことがあまりない気がする。自分は割とストイックに生きているタイプの人間であり、色々切り捨ててやりたいことをやっているタイプなので普通の人に比べると悩みは少ない方だと思う…のだが社会人になるとさすがにそうもいかず悩み事がちょいちょい増えてきた。そうなった時に相談できる人を思い浮かべたが思った以上にいないということに気づく。悲しいなぁ…。まぁ数少ないけどそういう人はいないわけではないのが救いだろうか。皆さん相談相手はちゃんと見つけましょうね。

 

そんなこといいつつも人と話してると気づいたら聞き役になっているし、結局何が言いたいかというとなんやかんや愚痴を聞く側の人間なのだと思う。これは話云々以前に自分が何かを受けて動くタイプという人間的性質に起因しているのかもしれない。余談だが将棋も受け棋風(まぁ最近は桂ポンとか左美濃急戦とかで攻め倒してることが多いけど…)だったりするし、根っこのとこは誤魔化せない、のかなぁ。

 

というわけで話相手に困ってる皆さんは僕とお話ししましょう。

 

 

 

 

 

 

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突然ながら、皆さんは何かの旅行に行く際に、どういうプランをたてていくタイプだろうか?

 

出発からその日の最後まで綿密に計画を立てて行く人、はたまた行き帰りの交通手段、宿すら取らずに唐突に動く人、様々だと思う。ここは性格所以のものが大きい。前者は几帳面、後者は天真爛漫といったところであろうか。

 

 

しかし自分はそのどちらでもない。いわば中間と言ったところだ。

 

 

まず行き先を決める。流石にこれは当たり前なので特に言及はしない。

次に行きたいところを決める。いくら天真爛漫と言えど行きたいところがないのに旅行するやつもそうそういまい。まぁ稀に存在するのがこの世の怖いところだけど…  とにかく行きたいスポット、食いたい飯を幾つかリストアップしていく。

その次が行き帰りの交通手段の確保である。なんやかんやで帰れない可能性があるのは結構嫌なものだ。自分はだいたい新幹線信者なので思考停止で新幹線にすることが多い。ただしケチなので関西圏までなら高速バスを使うこともたまにある。一応どこでも寝れるタイプなのは自分の数少ない長所である。

そして宿である。これもまちまちで、ホテルを取ることもあれば友人の家を頼ることもある。前者は大会の遠征など翌日に備えなければならぬ場合、後者は翌日に少しくらい響いても大丈夫な時だ。繰り返すがケチなのである。妥協できるところは妥協し、出費を抑えるのが人生の趣味といえよう。では新幹線はどうなのかって?妥協できないからに決まってるでしょ。

 

 

お・わ・り

 

 

以上である。行きたいところリストアップしたのだから計画を立てろよと言いたくなるのだがそこはめんどくさがりやの本領発揮。行き帰りの交通手段だけ確保してあとは当日適当に行く場所を組み合わせて行くのが湯田流旅行術なのだ(既に他に名前が付いてたらごめんなさい)。

まぁそもそもこの湯田という男、気まぐれという属性がついているので計画を立てても計画通りに物事が進むことはほぼ皆無と言って良い。それならばいっそ計画を立てず必要な分だけ行く場所決めて、あとは当日の流れとかを考えて帰りの交通手段に間に合わせればいいというのが主張点なのだ。

 

察しの良い方はお気づきかもしれないが、ここで「型にはめる」というタイトルに還ってくるわけである。タイトルに還すの好きだねこの人。

 

 

皆さんも昔小学生や中学生の頃に算数や数学の問題で先に答えを見てそこからどういう計算式で解いて行くかを考えて怒られた経験はないだろうか?数学的には本来はよろしくないので怒られるのは当たり前なのだが… 怒られない例でいうなら虫食い算だろうか。今思えばあれ良い問題ですね。

 

この「結論からイメージして過程を描く」という行為、予想以上に大事な事だと思う。

例えば先ほどの旅行術の話で例えると

行きと帰りが決まっている→ではそれに間に合うように行きたいところを組み合わせるにはどこを・どの順番で・どこを取捨選択すればよいか、となる。前もって計画しておけば何の憂いもないのかもしれないが、物事そううまく行くとは限らない。イレギュラー要素が入り込んだ時にそこに収まるようにするにはどうすればよいのか、と考えるのは一種のスキルが必要になってくるものだと思う。

 

そしてそれは将棋でも言える。こういう風に相手玉を寄せたい→では自玉の安全度はどうか、単純に寄せて間に合うのかどうか計算→決行、といった感じだ。

 

形から入るのは良くないともいうが、ある程度の「型」を作り、それに何かを当て「はめる」と物事上手く行くこともそこそこあると思う。時には答えから想像するのも大事だ。というか現代社会ってそういうパターン結構多いですよね。納期に合わせてどれだけ稼働するかみたいな。ここまで仕事の話をしだすと鬱病になってしまうのでやめておく。

 

 

とにかく、騙されたと思って湯田流旅行術一度お試しあれ。なかなか面白いですよ。ちなみに飯はラーメン屋に入るのがオススメ。ラーメンも型にはめていくピースの一部である。

 

 

あとここだけの話ながら最近は宿すら決めずに旅行することがたまにある。QoLをアップするどころか知能指数が下がる一方である。ある程度ご利用は計画的に。

 

 

 

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最近こういう「升に入ってるコップ」で出てくる日本酒が割と好き。升買おうかなぁ…

 

 

 

 

 

 

 

出会いと別れの季節

先日、神戸でタクシーに乗る機会があり、そこそこ興味深い話を聞いた。最近はタクシーを運転して目的地に行く際、よっぽどわかりやすいとこじゃない場合はカーナビに頼って行くため、道を覚えることが少なくなったそうだ。もちろん全てのタクシー運転手がそうというわけではないだろうが、なんとなく思うところが多い話に思えた。

 

技術の進歩はすごいものである。自分は所詮二十数年しか生きてはいないが、それでも目に見えるレベルの変化があった。小学生の頃家にあったパソコンはぶっとい液晶でWindowsも98だったのが今では薄い液晶でWindowsも10だし、母親しかもってなかったケータイはPHSだったのが今では画像全員持ってるしiPhoneだったり今の時代小学生でも平気でスマホを持っている。すごい時代になったものだなぁ。

世の中そういう文明の機器が便利になったおかげでわからないことがあればすぐに調べられるし、生きやすい世の中になったことは確かである。

 

しかし、だ。

 

ここで最初のタクシーの運転手さんの話に戻ってくるのだが、人間楽なものがあるとそれに頼りすぎて自分で考えなくなったりする部分があるのが事実。これはなにもタクシーの話に限ったことではない。例えば漢字の読み書きだってそうだし、はたまた将棋の検討だってそうである。コンピューター将棋ソフトも強くなって検討するのに有用な存在になったが、結局大会など人間同士で指すぶんにはソフトは使えず自分で考えるしかない。そういう時にテクノロジーを鵜呑みにして自分で考えていないとどうなるか、結果は火を見るより明らかであろう。

 

結局なにが言いたいかというと月並みな事なのだが、テクノロジーに生かされるのではなくテクノロジーと共に生きなければならない、ということである。もしかしたら数十、数百年後はその必要すらない社会になっているのかもしれないが、その逆も然りである。「人間は考える葦である」、この言葉は時代を経て別の意味でも重要な意味を持ってくるのかもしれない、そんなことを思う2018年3月。

 

 

 

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3月、4月といえば出会いと別れの季節である。実際にそういうかはわからない。まぁだいたいはあっていると思う。

この時期になると進路や就職先があらかた決まり、それまで同じ地域に住んでいた人は寂しいね〜元気でね〜というやりとりをするのがおなじみである。人それぞれだとは思うが。

自分の場合は割と淡々としているのであまりいつもと変わらない別れ方をすることが多い。それ以降付き合いが続く人間とは元々かなり深い付き合いだし、そうでない人間はそうではないというだけである。味気ない人間だとは思うが、そう育ってしまったものは仕方ない。どこで道を間違えたのか…

 

 

 

今年は出身高校、中高一貫なので厳密には中高で自分と最後に被った(高3と中1)世代の子が卒業する。当時高3なのであまり絡んだ後輩もいないのだが、そう思うと時が経つのは早いものだ。

その世代でよく絡んだ後輩は二人いて、片方は将棋方面でお世話になったAくん(厳密にはKなのだが、便宜上)、もう片方はゲーム関係でよく遊んだKくんである。5歳差というのはそこそこ大きい差だと思うし、ましてや少し被ってるとはいえほとんど被っていないのによくしてくれて本当にありがたい。二人とも関東の方に行くようで気軽に会えなくなるのは寂しい。ご卒業おめでとうございます。

 

 

 別れは何も卒業だけではない。就職、異動、その他色々な事情で別れることもある。

そういう意味で一人書きたい人物はいるのだが、書くと正直目の前が見えなくなりそうなので書かないでおく。一つだけいうと向こうでも頑張って欲しい。

 

 

別れというのは寂しいことではあるけど、人間いつしか別れなければならないこともあるし、様々な出会い別れを乗り越えていかねばならぬのである。最終的に死んで一人になることを考えれば別れの数だけ出会いがあるわけで、そう捉えれば少しは救いようがあるかもしれない。葦は踏まれても立たねばならぬ。そうして立った先にはどんな出会いが待っているのだろうか…

 

 

 

 

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どうも、湯田です。実はツイッターの名前も湯田から元のHNに戻してしまったので湯田を名乗る必要はないのだが、こっちまでそのHNにするのはなんとなく嫌なのでこのままにしておく。

このブログは一応何かしら書きたいテーマを定めて、それに関して色々文字を重ねていくという感じで書いていて、テーマ自体は年始の時点で候補があったのだが、書いてる途中でなんか違うなという感じになり、新たにピンときたのがこれである。年始一発目だから明るめな話から始めようと思ったのだが、申し訳ない。

というわけで今年もこんな感じに緩いペースで書いていこうと思うので、よろしくお願いします。